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2007.08/01(Wed)

割合逆転!?ニギリメシならぬ、ニギリウメ●ゲド戦記

父さえいなければ、生きられると思った。
見えぬものこそ。

TalesFromEarthsea02.jpg
『Tales From Earthsea』

『ゲド戦記 (映画)』 ウィキペディア(Wikipedia)

アレン(レバンネン):岡田准一
エンラッドの王子。17歳。謎の影に追われ、国を捨てて失踪。
逃走中にハイタカに命を救われ、
世界に異変を起こしている災いの根源を探す旅に同行する。

テルー(テハヌー):手嶌葵
顔に火傷の痕がある少女。テナーと共に農作物を育てて暮らしているが、
テナー以外の人物(特に自分の命を大切にしない人間)を嫌い、
心を閉ざしている。
心に闇を持ち折に触れて自暴自棄になるアレンを嫌っていたが、
やがて友情を築く。
ハイタカには出会ってすぐに心を開き、彼のことを「タカ」と呼ぶ。

ハイタカ(ゲド):菅原文太
アースシーの大賢人。
世界の均衡が崩れつつある事を察知し、アレンと共に災いの源を探る旅に出る。
頬に傷がある。
世界の均衡を崩さぬよう、みだりに魔法を使ってはならないと考えている。

テナー:風吹ジュン
ハイタカの昔なじみで、彼のよき理解者。
「ゲド」という彼の真の名を知っている。
親に捨てられたテルーを女手一つで育てている。
昔、カルガド帝国にあるアチュアンの墓地の巫女をしていた。
このことは台詞のみで語られている。
映画では髪は金色だが、原作では髪は黒い。

クモ:田中裕子
永遠の命を得るために、禁断の生死両界を分かつ扉を開いた魔法使い。
かつて魔法を濫用したが、ゲドに阻止されたため、
彼に復讐する機会をうかがっている。
ゲド戦記公式情報のストーリー紹介の欄にあるように男性という設定だが、
声優とその外見から女性的に見えるキャラクターとなっている。
なお、公式パンフレットによればクモの過去は、
かつて「ハブナーのクモ」と呼ばれていたクモは、
人が金を払いさえすればパルンの『知恵の書』を使い、
望み通りの人間をあの世から呼び出していた。
師の魂を呼び出され憤った若き日のハイタカは、
泣きわめいて抵抗するクモを無理矢理黄泉の国まで連れて行き、
恐怖の底に突き落とした。
その後クモは、改心を誓って西へと去ったが、
その心の底ではハイタカへの復讐を誓っていたのだった、とある。

ウサギ:香川照之
人狩りを生業とするクモの部下。
小心者だが、クモの力をかさに来て傍若無人に振る舞う。
アレンを「坊っちゃん」、テルーを「お嬢ちゃん」と呼ぶ。
これは声優本人が希望した呼び方らしい。

国王:小林薫
エンラッドの賢王で、アレンの父。
ある夜、突如アレンに刺殺され、魔法の剣を奪われる。

王妃:夏川結衣
アレンの母。国を継ぐものとして、アレンを厳しくしつける。
いつも猫を抱いている。

女主人:倍賞美津子
都城ホート・タウンに住む元まじない師。
現在は魔法を信じられなくなり、まがい物の生地を売っている。

ハジア売り:内藤剛志
常習すると死に至る麻薬・ハジアを、アレンに近づき売りさばこうと企む男。

ルート:飯沼彗
エンラッド国王の側近で、魔法使い。
世界の均衡が崩れつつある事に憂慮している。

二人組のオバさん:梅沢昌代・神野三鈴
テナーの家の近くに住む村人。
テナーの作る薬を買っているが、
内心ではテナーやテルーの事を薄気味悪がっている。
なお、このオバさんたちの動きは、ハウルの動く城で、
王宮の大階段のシーンを手がけたアニメーター、
大塚伸治によるものである。

【More・・・】

宮崎吾郎は、世界の均衡が崩れ、頭がおかしくなっていっているアースシーの住民と、
人々がゆとりをなくし、頭がおかしいとしか思えない事件が頻発している現代人を、
アースシーと現代に重ね合わせ、そして、
相手を意のままに操る事のできるアースシー世界の真の名前と、
現代のネット社会での、個人情報の危うさを重ね合わせて、
眼に見えぬ物の大切さを描いています。

世間で言われているほど悪くなく、
むしろ初監督作品でここまで出来れば上出来だと思います。

原作『ゲド戦記』、原案『シュナの旅』となっていますが、
両作品とも原案として、オリジナルタイトルを付けるべきでしたね。

宮崎駿の息子でありながらも、演出の系統は、
どちらかというと『火垂るの墓』などを手がけた、
高畑勲に近い印象です。

ラスト近く、真の名を教えあったテルーとアレンが、
ゲドとテナーを助ける為に城の上を目指します。

アレンが飛び移る → テルーが首を振り「飛べない」と尻込みする → 
アレンが「大丈夫、飛べるよ」と手を差し伸べる
(もうちょっと何かセリフがあったような気がします) → 
テルーが意を決した様な表情を浮かべ飛び移る → 
アレンが受け止める。 → 無表情のまま2人で走り出す。

宮崎駿が演出した場合は、ラストに向けて停滞する演出は少ないです。
宮崎駿が同じ場面を演出すると仮定した場合、

アレンが飛び移る → テルーがハッとした表情をする → 
アレンが「さあ!」微笑みながら手を差し伸べる → 
テルーはアレンを信頼している表情を浮かべ飛び移る → 
アレンは空中にいるテルーを優しく抱きかかえると同時に、
2人は同じ表情、同じ目線で走り出す。

・・・と、宮崎駿の場合は、躍動感のあふれる演出をすると思います。

メッセージの伝え方や、表現の仕方などの演出方法が、若干、直接的過ぎて、
作品の全体的のトーンが沈みがちになってしまっています。

高畑勲は、リアリティの中に客観性を持った魅せる要素を取り入れるのですが、
宮崎吾郎の場合は、「リアルに演出 = 自分の言いたい事が伝わる」と、
考えているのかもしれません。
ですが、監督自身が望もうとも、望まなくても、
「ジブリ」と「宮崎駿の息子」という色眼鏡で見られる事を考慮すれば、
もう少し、客観的に魅せる演出を心掛けると、良かったように思います。

現代の人に向けた作品として、梅干90パーセント位のメッセージ色が強い作品で、
美味しいオニギリを食べ慣れたジブリファンには、
ごはんの割合が少な過ぎたのかもしれません。

闇に支配された、父殺しのアレンが沈みがちなだというのは解りますが、
声を張った上でふさぎ込んだ様子という、間接的な表現方法を使うと、
観客の気持ちを暗く沈ませない上で、ふさぎ込んでいるアレンという事を、
上手く伝えられたのではないかと思います。

ボソボソ話すアレンが、終盤に堂々と声を張る、
ギャップを狙った演出だとは思いますけど、少し狙いすぎた印象です。
この辺りは、経験を積んでいく事ですが、宮崎吾郎は少し可哀想ですね。

宮崎吾郎が、「 興行成績 = 自分の実力が絶賛された 」と勘違いしないように、
そばで指導する人がいると良いのですが、
彼が長編アニメ映画、『ゲド戦記』の監督をしてしまった以上、
自分を客観視しながら、勉強していくしかないですね。

言うなれば、師匠となる人の元で、ステップアップする事無く、
いきなり戦場での実戦に狩り出された、新兵みたいなものです。

私はアニメ映画版、『ゲド戦記』に対して、肯定的な印象です。
しかしそれは、「新人監督のデビュー作」という事を加味した上での評価です。

宮崎吾郎を育てるも、殺すも、ジブリファンにかかっているのかも知れません。
今後に期待ですね。

『おにぎりの種は梅仁丹●ブレイブ ストーリー』

『二人の「千尋」と戦争を無くす3つの方法●ハウルの動く城』

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テーマ : スタジオジブリ - ジャンル : 映画

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「ゲド戦記」映画(DVD)感想

ジブリアニメ映画の「ゲド戦記」がDVDで出たので、レンタルして見た感想です。 結
2007/08/05(日) 13:38:42 | Wilderlandwandar
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